10地区の春まつり
半田の祭は市内10地区のそれぞれの氏神様を中心に、春に行われています。
半田の山車について
各地区にそれぞれ山車組と山車があり、各地区町内を引き回されます。祭は神社の神事として行われ、山車には本宮より別宮へ神様がお渡りになる際の「御神輿」を警護する役割があるとされています。
愛知県の山車の形には、大きく分けて「名古屋型」「犬山型」「知多型」の3つに分類されます。
半田の山車はもちろん「知多型」ですが、その特徴としては、
・2層の形
・内輪の物が多い(車輪が外にでていない)
・全体が素木の彫刻で飾られ、後部に吹き流しが付く物が多い(乙川地区は吹き流しがありません)
・正面の高欄下から唐破風の屋根が出ていて4本の丸柱で支える
などの特徴があります。
これらは「あいちの山車まつり」さんのページにまとめられているのでご覧下さい。
山車(だし)の呼び方については、各地域で「おくるま」「おっくるま」「やまぐるま」など色々な呼び方は存在していますが、今ではほぼ「だし」と呼ぶのが定着しています。
山車の始まりについては地域により歴史は異なりますが、早くは江戸時代の中期頃には存在していたようです。
現在の山車が作られた年代は、明治後半から大正時代が多く、これは各地区で山車をどんどん豪華で立派な物に作り替えて行ったという歴史があり、それ以前の古い山車は、三河、南知多、常滑などに譲渡されそちらで見ることが出来たりします。
半田の山車は現在では素木造りが主流ですが、古くは木部に彩色や塗りが施されている山車も多かった様です。乙川地区 南山 八幡車(はちまんぐるま)には上山に彩色が施されており、半田の山車では珍しい様式になっています。
はんだ山車まつり について
各地区の山車を合計すると31台にも上りますが、各地区の氏神様の神事として祭が執り行われるため、各地区の山車が一度に集まると言うことはありませんでした。
昭和54年に半田青年会議所の発案で、半田の山車を一同に集めようとの機運が高まり、多くの困難を乗り越えて第1回の「はんだ山車まつり」が開催されました。
その後、5年に一度の開催が決定され、令和5年10月28日、29日の土日に9回目となる「はんだ山車まつり」が開催されました。
多くの方のご来場に感謝申し上げます。
次回「はんだ山車まつり」へのご来場もお待ちしております。