住吉ちんとろ祭をご紹介

住吉ちんとろ祭とは?

住吉ちんとろ祭は、毎年4月の第二土日を基本に半田市上半田地区にて行われるお祭りです。(住吉を付けずに「ちんとろ祭」と呼ばれることが多いです)

神輿を警護する2輌の山車の町内曳きと住吉神社境内の宮池に2隻の「ちんとろ舟」を浮かべ、その前舞台で、子供三番叟の舞を奉納する、特に土曜日の夜は花火も開催されることから大変賑わいのあるお祭りです。

「ちんとろ」の云われ

上半田のお祭りは「ちんとろ祭」と呼ばれますが、住吉神社境内の宮池に2隻の「まきわら」舟を浮かべ、その舟上で子供三番叟の舞を奉納しますが、その「まきわら」舟を「ちんとろ舟」と呼んでおり、その名前から来ています。

津島神社「天王祭」

この「ちんとろ舟」は津島神社「天王祭」の「まきわら」舟が文化・文政の頃に半田に伝わった物と言い伝えられていますが、なぜ「ちんとろ」と呼ぶのかについては、

舟上に多数飾られる提灯が「珍灯籠(ちんとうろう)」であって、奏でられる お囃子がチントロ、チントロと聞こえるところからきているといわれています。

京都妙心寺の珍灯籠

この2隻の「ちんとろ舟」は夜には火のともった提灯で飾られて、舟上では子どもによる三番叟と呼ばれる舞が奉納されます。

ちんとろ舟での子ども三番叟の舞

神 社

ちんとろ祭は、住吉神社の春の例大祭として開催されます。

住吉神社との呼び方が定着していますが、神社東の大鳥居脇には「入水神社」との石碑もありちょっと戸惑います。

古くは「入水神社」と呼ばれていたものが、いつしか「住吉天神」と言う呼び名が定着し、江戸時代の1838年にやはりここは「入水」だろうという事で、「入水神社」と改名されましたが、その後再び「住吉神社」と呼ぶ様になったとのこと。ちなみに入水神社には上社と下社があり、住吉神社は下社にあたり、上社は乙川の八幡社とのこと。

神社改名表記

「入水神社」の石碑下部には、昭和27年に「住吉神社」と改名した表記があります。

神社には「宮池」という池があり、ここに「ちんとろ舟」を浮かべ、花火も打ち上げられます。

住吉神社「宮池」

山 車

上半田地区には北組、南組の2つの山車組がありそれぞれ山車を持っています。
その山車を紹介致します。

北組唐子車(からこぐるま)

創建

弘化3年(1846)

新調

大正12年(1923)3月11日

代表彫刻

  • 壇箱:「三韓征伐宝物受取りの図」(初代彫常)
  • 脇障子:「須佐之男命 日本武尊」(初代彫常)
  • 持送り:「角つなぎ」(初代彫常)
  • 懸魚:「西王母 龍乗り」(初代彫常)
  • 前山太平鰭:「唐松に貘一対」(初代彫常)
  • 上山太平鰭:「麒麟」(初代彫常)

北組かんばん(法被)
  • 大幕:緋羅紗地の無地・斜め井桁に北と桔梗の裏地
  • 追幕:緋羅紗地に鳳凰・雲・桐の刺繍
  • 水引:濃緑羅紗地に飛鷺の刺繍(岡本亮彦下絵)

彫金

仕様書記述 純銀150kg(杉浦正太郎 錺師)

南組福神車(ふくじんぐるま)

創建

天保13年(1842)

新調

大正11年(1922)

代表彫刻

  • 壇箱:「七福神」(立川和四郎冨昌)
  • 脇障子:「崑崙坊人」(立川常蔵昌敬)
  • 前山蟇股:「龍に雲」(初代彫常)
  • 前山懸魚:「龍」(初代彫常)
  • 蹴込:「格子に紗張」
  • 持送り:「力人」(初代彫常)

南組かんばん(法被)
  • 大幕:緋羅紗地の無地
  • 追幕:緋羅紗地に花鳥の刺繍
  • 水引:白地に松・鷹の刺繍(下絵 山本香雲)

ちんとろ舟

2隻のちんとろ舟があり、北組「住吉丸」、南組「入宮丸」と呼びます。

昼の住吉丸

住吉丸の幕には「丸に二つ引き」の紋が染められています。

昼の入宮丸

入宮丸の幕には笹竜胆(ささりんどう)が染められています。

宵宮での舟には多くの提灯が飾られます。

真柱には1年の月数を表す12個の大提灯が飾られ、半円状に1年365日を表す提灯が飾られます。1年を表す数ということで、数が実際に365個という訳ではありません。

三番叟

ちんとろ祭では、宮池に浮かべられた舟の上で子ども三番叟の舞が奉納されます(半田市指定無形民俗文化財)。

三番叟には、3歳~7歳くらいの年齢の子どもがなります。
北組、南組に別れ、それぞれに衣裳や化粧、舞やお囃子も異なります。

北組は男三番叟と呼ばれ力強い舞です。南組は女三番叟と呼ばれ優しい舞になっています。

北組 男三番叟
南組 女三番叟

三番叟には神が宿るとされるため、道中など地面には決して下ろしません。係の者に担がれる(正確には手の平の上に立つ)形でお囃子と共に移動します。下の写真では南北三番叟が並んで進んでいますが、その際には南北それぞれのお囃子が「みちゆき」という曲を奏で、かけ声と共に進みますが、お互いにお囃子を合わせることはせずに、相手よりも元気で活気で負けない様に競い合って歩みます。

南北三番叟の巡行

三番叟には、舞を教えて稽古をつける師匠、お囃子、移動などの色々なお世話をする三番叟係など多くの人が関わって成り立っています。また、三番叟を出した家は「宿元」と呼ばれ、三番叟の稽古が始まって祭が終わるまで、連日の稽古や関係者の接待など大変ですが、宿元は大変名誉なこととされ、男の子が生まれた時から、三番叟をさせたいと願う祭好きの親御さんも結構いらっしゃいます。

お囃子は子どもから青年が担いますが、お囃子の子どもたちにはかつての三番叟経験者が多くいます。

南組三番叟の集合写真

花 火

土曜日の夜には宮池で花火が打ち上げられます。とても近い距離で花火が見られますので、迫力は満点です。かつてはスターマインも打ち上げられていましたが、住宅や観客とも近いため、安全上の問題で現在は打ち上げられていません。

しかし、ちんとろ舟の提灯と花火が水面に映る景色がすぐ近くで見られますので一見の価値があります。

宵 宮

夜のちんとろ祭と呼ばれる位に宵宮は大変賑やかで、見所満載です。境内には夜店も多く軒を連ね。人混みに溢れます。

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